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安部山公園へ

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私の苗字は「安部」です。由来が掲載されているサイトがあり、下記、引用文。

北九州小倉にある安部山が総本山になり、県別で「安部」の勢力を見ると大分県と福岡県だけが日本全国的に見ても異常に突出しているのもこのためで、福岡県では北九州一帯、大分県では別府市に極端に集中しています。これは、源平合戦で敗れた平氏について九州に逃れてきた職人集団安部一族が最初に北九州を拠点とし、次に別府に移ったわけです。

そこで、北九州市へ行った際は、安部山公園へ立ち寄ろうとチェックしていた。
ついに、安部山公園に到着。

結構、広い公園。桜の木が多く、道路には桜並木がスゴイ。
花見の時期はキレイでしょうね。
ただし、駐車場が5台分しかない...。

公園内に安部山公園に関する案内はなかったが、公園と北九州安部山公園病院の間に頌徳碑と説明看板があった。

下記、看板の引用文です。

安部熊之輔頌徳碑の説明

安部熊之輔氏は明治、大正期に果樹園芸研究家として活躍、また曽根村議、県議、衆議院議員を務め、安部山公園の開設、旧小倉電軌(株)北方線(後西鉄北方線)の設立など地域振興に大いに貢献した。
氏は文久元年(1861年)小倉長浜に生まれた。明治11年(1878年)に東京遊学、横浜の工場に勤め、製缶工を志していたが、たまたま山梨県でのブドウ栽培を見て、興味を抱き果樹園芸の道に足を踏み入れていった。明治18年(1885年)に帰郷し、西谷村高野の庄屋安部茂平氏の養子となった。明治38年(1905年)に企救郡曽根村湯川に移り、新たに原野(10ヘクタール)を開墾した。この湯川の農園を安部山と呼び、果樹とともに各種の桜苗も育成した。明治45年(1912年)には見事な桜園になり公園化が進められた。また氏は福岡県の農政改革に力をいれ農協の前進である農会の組織作り、農政や園芸の研究会も組織し、園芸技術員や竹林技術員設置などを提議した。
氏は大正14年(1925年)で病死するが、生前の数々の功績を称え、昭和3年(1928年)福岡県農会の人達が熊之輔氏の頌徳碑を建立したものである。
なお墓所は区内高野の一角にある。

公園の後ろに見える山は、安部山ではなく砲台山と足立山。
てっきり安部山と思いきや、安部山は公園や地域の名前だけのようだ。

「あべ」には漢字が違う安倍晋三首相の安倍や阿部がある。
やはり、阿部は熊本の阿蘇と関わりがあるのか、菊池一族の出身らしい。

以上、苗字の由来でした。

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